Learn MMT 3 では、金本位制離脱後、国債は財源調達としての意味を失ったという話をしました。
これは、もはや異論のないところと思います\(^o^)/
では、現代金融の中で国債の果たしている必須の役割とは何でしょうか?
二つあるとします。
- 金融調節(インターバンク市場の金利誘導)の道具として
- 国民が貯蓄するための手段として
これ以外のことはぜんぶ、べつに必須ではない、のではないでしょうか\(^o^)/
投資銀行等に「リスクフリー資産」を提供するということは必須じゃないですよね?
預金を持てばいいわけで。
MMTは、1は「国が超過準備預金に金利を支払う」という政策で代替できると主張します。
これについては、またいずれ。
ここでは、とにかく、国債を使わないもっといい方法があると言っているのだな?と理解してください。
今回は、1よりさらに注目されていない論点、2の方の話をしたいと思います。
私たち人間は、こう考えるものです。
というか、大金持ち以外はこうするしかありません。
- 生産可能年齢に所得を得て、老後に備えて貯蓄をする。
- 引退した後はこれを取り崩す。
- いつ死ぬかはわからないので、最後は少し残る。
つまり、金融資産を貯蓄するのは私たちの必然。
このことが、財政赤字が基本、とMMTが主張する最大の理由の一つです。
それでは、国民が所得のうちどのくらいを貯蓄すればいいですかね。
皆さんはどう思いますか?
いろいろ考えたいですよね?
あたりまえですよね。
ところが現状は、それをまったく考えさせてくれない。
本ブログの
primer シリーズで使ったみたいな図でイメージしてみましょう。
図をシンプルにするために現金は考慮していません。
こんな感じで、国債が年金や保険にプールされていて、これが貯蓄の役割を果たしている、と言われています。
青丸の預金が、緑丸の国債として運用されているわけですね。
ここで以下のことが問題になります。
- どのくらい貯蓄するか(預金と国債の比率)は、国民の意思で決める(決めることができる)ものではないでしょうか?
- そういえば、年金のリターンがどのくらいが妥当であるかも、国民の意思で決める(決めることができる)ものではないの?
国債は、金融商品なので投資家が支配の市場の影響を受けてしまう。
すると、すぐにこの考えに行きつきます
貯蓄が国債である必要は、はじめから全然なかったよね?
そうなのです。国債という、金本位制時代の遺物がたまたま貯蓄の目的に流用されていた。それだけのことなのですから。
だから、このように問うわけです。
毎年毎年、財政赤字とピッタリ同額の貯蓄をしようとか、いったいいつ誰が決めたんだ?
市場に委ねたり、密室で決められる国債金利なんかより、民主的な政府が決めればよろしいのではないでしょうか?
ビル・ミッチェルはこのエントリでそういう話をしているわけです。
MMTを学ぼう! 騙されないために。。。
There is no need to issue public debt