MMT(現代金融理論)「論」ウオッチング!

ここは「MMT日本語リンク集」(みてねー)の番外サイト。 MMT(現代金融理論)「論」をウオッチしています。 良い紹介、よい批評を読みたいよね!

番外:ぼくがかんがえた【アメリカで大論争の「現代貨幣理論」とは何か】

前回の予告のやつです。。。
中野剛志によるMMTの説明を、これはMMTとは言えないと断じてしまったけれども、それじゃあ。ぼく(nyun)が中野剛志だったら同じ書き出しでどうまとめるか、的な\(^o^)/
デフレとか経済成長を持ち出さないのね。




ガリレオが地動説を唱えたとき、あるいはダーウィンが進化論を唱えたとき、学界や社会の主流派は、その異端の新説に戸惑い、怒り、恐れた。そして、攻撃を加え、排除しようとした。
しかし、正しかったのは、主流派に攻撃された少数派・異端派のほうだった。

このような科学の歴史について、かつてトーマス・クーンは次のように論じ、注目を集めた。 科学者は、通常、支配的な「パラダイム」(特定の科学者の集団が採用する理論・法則や方法論の体系)に忠実にしたがって研究している。科学者の間の論争はあるが、それも、このパラダイムの枠内で行われているにすぎない。

パラダイムから逸脱するような理論は「科学」とはみなされずに、無視されたり、排除されたりするのである。 このため、仮にパラダイムでは説明できない「変則事例」が現れても、科学者たちは、その変則事例を深刻には受け止めない。相変わらず、パラダイムを無批判に信じ続けるのだ。

ところが、そのうちに、支配的なパラダイムに対する信頼を揺るがすような深刻な「変則事例」が現れる。こうなると、科学に「危機」が訪れる。科学者たちは根本的な哲学論争を始め、支配的なパラダイムを公然と批判する者も現れ、学界は混乱に陥る。 そのうちに、より整合的な説明ができる新たなパラダイムが提案され、やがて従来のパラダイムにとって代わる。

地動説や進化論もまた、そうやって現れた新たなパラダイムの例である。 クーンが主張したのは、どの科学が正しいかは、合理的な論証によって判断されるとは限らないということである。科学者の判断は、科学者個人の主観や社会環境など、必ずしも合理的とは言えないさまざまな要因によって左右されるのだ。

今となってはこのような科学観は極端で、ちょっとナイーブに過ぎる、とされている。
しかしここで視点を変え、経済現象についての人々の捉え方もまた一つのパラダイムだとしたら?

1980年代に起こった完全雇用の放棄、巨大失業を許容しようという新自由主義、同時に、政府の財政赤字は問題であるという、根拠のない考え方は世界の人々に多くの厄災をもたらしている。このように考える、異端の経済学派がある。

主流的な考えの背後には、経済は自然(nature)である、自然な(narural)ものとして把握することが可能である、という物事の素朴な捉え方が(多くの場合無自覚に)隠れている。そもそもそれがまったく間違ったパラダイムなのだ、というわけだ。

新自由主義の象徴とされるロナルド・レーガンが米国の第40代大統領に就任する前年の1980年、わが国では、支持率の低迷に苦しんでいた大平首相が解散総選挙を打ち出した直後に急死し、そのために世間の同情を得た自民党は圧勝した。こうして総理を目指していたわけではなかった総理による鈴木政権が誕生した。

この新政権が掲げた政策目標が「増税なき財政再建」だ。この目的のために発足した第二次臨時行政調査会の提言に基づき、調査会会長の「メザシの土光さん」の国民的支持を背景に改革が推進され、レーガン大統領の「盟友中曽根首相の長期政権がこれを引き継ぎ、それ以降わが国は労働市場と金融の規制緩和に突き進むことになった。

この結果、どうなったか。

誰もが真面目に仕事をすれば普通の生活ができると、多くの人々が考えることのできた時代がほんの少し前まであったのだ。多くの企業が家族手当、配偶者手当を支給していたことに象徴されるように、そもそも社員の生活に責任を持つのが企業の、また雇用者の使命の一つであると大多数が考えていた時代が。

話を戻そう。

ほどんどの人は、政府の均衡財政は自然で無難な運営なのだろう、とごく自然に思う。そして経済が「自然」であるならば、「自然失業率や自然利子率を考える経済学の営みも、また自然なことなのだろう。

ところが、オカシオ-コルテスが支持するMMT、現代金融理論は、これと全く異なる、いや、むしろ正反対ですらある視座を出発点とするものだ。

いわく、「自然」な経済政策など存在しない。財政均衡や、政府債務の上限ルールには意味がない。私たちが労働で得た所得で普通の生活をしつつ、所得の一部を将来に備えて貯蓄できるようにするためには、政府が財政赤字であることが必然なのだ。税を徴収する一方でそのような労働の場が与えられない人がいるとすれば、それはいちばん基本的な人権の侵害だ。

さらにMMTは、金融や貨幣の仕組みの分析から、ちょっと驚くような結論を導き出す。現在のような形態で政府と中央銀行を分離していることには意味がないとすら主張する。
だから敵は多い。特に大企業、マスコミ、主流経済学とは激しく対立することになる。

いかがだろうか。以上の説明でオカシオ-コルテスがMMTを支持する理由をおぼろげながら説明できたのではないだろうか。

もしあなたがMMTに興味を持たれたら、こちらをまずは(あらためて)一読されるか、知恵袋でどんどん質問することをお勧めする。

ビル・ミッチェル「MMT(現代金融理論)の論じ方」

ビル・ミッチェルは過激な物言いで敵は多いが、実は彼ほど優しい人間もそうはいない。

MMTの主張は明快だ。

「経済は自然現象」と捉えることを拒否し、「経済は我々の営みそのもの」と認識する。

「財政支出の前にお金が要るのではなく、逆に、「財政支出こそがお金を創出している」と論じる。

「失業者をバッファーに経済を安定化する」のではなく、逆に、「最低限
の文化的生活のために十分な労働所得をバッファーに経済を安定化する」べしと提案する。

正しい描写はどちらだろう。正義はどちらにあるのだろう。


科学におけるパラダイム論は、確かにもう
時代遅れだ。
しかし、MMTが「主流パラダイムはおかしい」と訴えるとき、そこには傾聴に値する主張がある。このことを絶対に見落としてほしくないのである。


コメント

1. 無題

前回の記事でコメントした者です。
にゅんさん自ら解答編を書いて頂き、有難うございます。

ぼんやりとですが、掴めてきたような気がします。
多分、インフレとかデフレを持ち出すから話がズレるのではないかと思いました。

以下は今回の記事を受けての自分なりの理解です。
(間違ってたらごめんなさい。)

・はじめに、
「誰もが普通の生活ができる労働の場が与えられる」
という目標があり、そのためには財政赤字が必然である。

・判断すべきは上記目標が達成できてるか否かであり、
インフレ率の高低ではない。

とりあえずですが、こんな風に理解しました。

最近MMTを知ったばかりなので、こちらのサイトはとても勉強になります。
今後とも更新を楽しみにしております。

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