こんにちは。
なんか、MMTを初めて知ったのが中野剛志さんの著書「
富国と強兵」だったという人、かなり多いですよね。
じぶんも知恵袋er、そして、MMTマニアの端くれとしてMMT関連の単語で検索かけまくるのが日課で、たまにGoogle Books でこの本の内容がヒットすしますから、なんとなくですが存じておりました。この功績は大変なものだと思います。
ただ、印象としては、この本で紹介されているのがMMTだけというわけでもなく、貨幣についての中野なりの総合的な理解が開陳されたもの、という風情です。
MMTに関する部分はGoogle Booksで
全部読めますね。
これを読んだ知恵袋erあるいはMMTマニアたちの不満は大きく二つでしょうか。
1.財政支出の仕組みの説明が建部正義先生のもので、MMTの説明を完全無視!
2.就業希望者全員を政府が雇うという「最後の雇い手」政策の説明が小さい!
2はMMTの核で、これがないと今のAOC旋風とかが、いまいちわからないんじゃないですかね。。。
でもまあ、やっぱ困るのは完全無視の1ですよね。
よくTwitterとかで楽しくMMT談義をするときに、どうも spending first とか、国債やめちまえ論(ついこないだも
ケルトン先生が)がいまいち通じないことが多い気がしていたのは、この本が原因だったのかって、さっき気がついたんですよ。。。
そもそもMMT研究の出発点は、モズラーの
spending first の(再)発見にあるわけですが、その後MMTは「自国通貨を持つあらゆる政府に適用できる一般概念」になっています。
そんなMMTの目線で建部先生の描写を読むと、MMTとの矛盾はなく「日本の場合はこうだよね」、と言えないこともないお話なのです。矛盾はありません。たぶん。
でもでも!
MMTはそれよりはるかに広い射程をもっているのに!\(^o^)/いちばんおもしろいとこ!わざわざ無視すんな!\(^o^)/って感じです。
つまり、こういう次第である。すなわち、
①銀行が国債(新発債)を購入すると、銀行保有の日銀当座預金は、政府が開設する日銀当座預金勘定に振り替えられる。
②政府は、たとえば公共事業の受注にあたり、請負企業に政府小切手によってその代金を支払う、
③企業は、政府小切手を自己の取引銀行に持ち込み、代金の取立を依頼する、
④取立を依頼された銀行は、それに相当する金額を企業の口座に記帳する(ここで新たな民間預金が生まれる)と同時に、代金の取立を日本銀行に依頼する、
⑤この結果、政府保有の日銀当座預金(これは国債の銀行への売却によって入手されたものである)が、銀行が開設する日銀当座預金勘定へ振り替えられる。
⑥銀行はもどってきた日銀当座預金でふたたび国債を(新発債)を購入することができる、
⑦したがって、銀行の国債消化ないし購入能力は、日本銀行による銀行にたいする当座預金の供給の仕振りによって規定されているのだ。
念のためですが、これMMTならこうですよね。
①統合政府は、たとえば公共事業の受注にあたり、請負企業に政府小切手によってその代金を支払う、
②企業は、政府小切手を自己の取引銀行に持ち込み、代金の取立を依頼する、
③取立を依頼された銀行は、それに相当する金額を企業の口座に記帳すると同時に、統合政府に小切手の決済を依頼し、政府は銀行の準備預金残高を同額増やす。
おしまい。
よく見れば、①で政府の「未払い費用」という債務が誕生し、それはすぐに「小切手」という債務に形を変え、「準備預金」という政府債務に変わっている。政府の赤字(金融債務の増)が民間の黒字(金融資産の増)がぴったり同額であることは、建部説ではきれいに出せない。
さらに
(知恵袋erさんには)くどいですが、赤字財政支出の場合は、オマケとして④があると。
④BSの資産側には無利子の準備預金を押し付けられてしまった銀行は利付の債権(国債)を購入して運用。
上でも書きましたが、本物の知恵袋erや本ブログの読者ならお分かりの通り、建部説との際立った違いは以下のようなことでしょうか。
- 「Spending first 」が言えるよ!
MMTってよく「税も国債も政府支出の財源ではない」と主張します。やっぱMMTはこれがないと(うっとり)
- 「国債?そんなのやめちゃえば?」が言えるよ!
知恵袋でも本ブログでもおなじみですが、国債などという金本位制時代の遺物でオペレーションしてるものだから、クルーグマンとかみんな間違って国債を怖がってる。(ケルトンは明日にもやめれば、というし、モズラーもこんな風に。あーこんなブログ見てるあなたはもう見てますよね。。。)
政府債務の上限は?って議論あるじゃないですか。
本書ではMMTを無視して建部説を使ったせいで、次のように語られています。
しかし、この議論は、銀行が預金を元手にして国債を購入するという、現実の信用創造の過程を転倒させた見方を前提としている。実際には、内生的貨幣供給論が示すように、銀行の国債購入が預金を創造するのである。
したがって、民間金融資産の総額は、政府債務の制約にはならない。国債発行に制約があるとすれば、銀行が政府の返済能力に不安を抱き、国債を購入しようとしなくなる場合である。企業に対する銀行の貸出しが、貸し手である銀行の資金力にではなく、借り手側の企業の返済能力に制約されるように、銀行の国債購入もまた、政府の返済能力に制約される。
でもさあ。
「銀行の国債購入が預金を創造する」のだったら、その銀行は国債を購入するための準備預金を事前に持っている必要があるよね。
十分な準備預金を持っていないと国債が買えないから、
政府支出は準備預金残高に制約されるということになっちゃう。。。
もっと言えば、銀行が十分な準備預金を持っていたとしても、それはもともと過去の赤字財政支出で創造されたもの!
これ、おかしいよね??
中野さん、もし、あなたがこないだ
デカい字でめちゃくちゃ攻撃しちゃった竹中平蔵とか黒田総裁とかジョブズの盟友とかあずまんとか橘玲たちがこれに気付いちゃってみんなで反論してきたらやばいのでは?
それはまずい!
みんなキュウべえに騙されてる!
早く伝えなきゃ!
ほむほむ!
1. 無題
民間から預入してもらうなり、資金投入してもらえれば済む話じゃね?
「銀行の国債購入"だけ"が預金を創造する」とは書いてないんだし。
Re:無題
本ブログ初めてのコメント、うれしいです!
>民間から預入してもらうなり、資金投入してもらえれば済む話じゃね?
あ!それはできなんですよ。
あなたが銀行に100万円の紙幣をもっていって預金した。このとき仕訳はどうなります?\(^o^)/