こちら。PDFになります。
反緊縮のマクロ経済政策諸理論とその総合
これ、「MMT論
」というわけではないのですが、松尾はレイのMMT入門の解説(?)を担当されるとことで。
それにしては、見逃せない、どうみても根本的なMMTへの誤解があるので簡単に。
下の引用で、太字にしてアンダーラインを引いたところ。
19 3 3 貨幣供給の内生・外生は論点か?
さて一般に,広い意味で主流派経済学に属するニューケインジアンと,MMTや信用創造廃 止派との違いとして最も意識されているのは,貨幣供給について外生説に立つか内生説に立つ かであろう。ニューケインジアンは,やはり主流派の入門マクロ教科書の IS LM 図式に典型 的に見られる外生的貨幣供給説に立っているとして,MMTや信用創造廃止派からしばしば批 判される。MMTや信用創造廃止派の方は,内生的貨幣供給説に立つと自称している。簡単に 言って,外生説は通貨当局が貨幣量を操作して利子率がそれに従って決まるとみなし,内生説 は通貨当局が利子率を操作して貨幣量がそれに従ってきまるとみなすとされている。 それに対して,ニューケインジアンのレンルイスは,MMTの学説全般について,基本的に は,標準的マクロ経済学の考え方から出てくることと同じことを言っていると繰り返し評して いる。さらに,MMTの論者が政府取引の会計的細部にやたらとこだわるとの感想を述べ,そ のことにいささか閉口している様子である(Wren Lewis,2016a,2016b)。こだわるのはその 点にこそ外生的貨幣供給と内生的貨幣供給の見解の違いが出ると思われているからなのだが, ニューケインジアンの側からすればこだわる意味がわからないところだろう。
これ、根本的に違いますよね。 MMTだと、貨幣量をコントロールできるという発想はなくて、
あえて言えば
- 政府がコントロールできる貨幣量は、政府支出と税で決まり、中央銀行は従属的に動くだけ。
- 民間銀行が創造する貨幣量はコントロールできない。
で、2の実態、とくに民間債務の実態把握が困難だからこそ、政府はどうしようっていう話じゃないですか。。。。んだから、究極的にはJGPで受動的に対応すれば!とか。。。
MMTのどれのどこをどう読んだら当局が利子率をコントロールして貨幣量が決まると見なされるか、ご存知の方はぜひ!
なもんだから、ここから先のMMT論はまるっきり的外れに。
困りますね、、、
追記
はむっち提督さんより、こんな指摘をいただきました。
「これはベースマネーが受動的に決定されるという意味では?好意的に解釈すると」
しかし、それはそれで、もっと大きな問題にぶつかりますよね。
MMTは国債と準備預金をどちらも統合政府債務なので同等物と見なしている。
ニューケインジアンモデルの貨幣量って、国債が入ってるんですか?ということに。。。
追記2
松尾氏ご本人からいただいたコメントへの応答
本マイナーブログに、松尾氏からコメント欄にコメントを頂戴いたしました。
内生か外生か、という話であれば、「結局どっちでも同じじゃね
」というご趣旨はよくわかりました。その両者の対立としてみるのであれば、結局のところ、現状の数字、結果をどう解釈するかの話に尽きるので、どちらの立場からも説明を加えることはできるでしょう。
自分の違和感は、こういうことです。
今、どのような政策が必要かを考えるときに、今の金利や貨幣量は重要ではない。
失業をはじめ、実物資産にどれだけ売れ残りがあるかを見る。あるいはニューディールをするときには貨幣側ではなく、実物資産がどれだけあるかを先に考えよと。
財政収支(量)は見てはいけない。
そのうえでインフレ(率)がどうなるかを気にしましょう、と。
民間債務の問題に注目しましょうと。
このことが知られる前に、貨幣側だけの話で纏められてしまってはまずい。
そのあたりのことはぜひこちらを見ていただければ。
MMT(現代金融理論)のエッセンス!
ウオーレン・モズラー「命取りに無邪気な嘘 6/7」
実物資産の話や民間債務の問題を、金融資産の話にすり替えてはいけないという主張です。MMTのまとめとして貨幣の話に終始すると、むしろミスリーディング!
主流の略図に「書かれていないこと」に注目してほしいのです。そうしてしまうことこそが「彼ら」を利する。だから抵抗も大きいと。。。
松尾様、いずれにせよ、応答いただきありがとうございました。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
追記3
関連記事を書きました。
1. 誤解を生む表現ですみません
「それに従って決まる」という表現は、「それ(前者)が所与の外生変数(独立変数)としてコントロールされたもとで、後者が経済体系全体の内生変数(従属変数)としてあとから決まる」という意味です。直接のコントロールが可能ということとは正反対のことを表したくて選んだ表現です。
(外生論者のIS—LMでは、利子率は経済体系全体の内生変数としてあとから決まります。それと同じことです。)
もちろん、ここで私見として言いたいことは、間接的にでも影響を与えることを狙っているのであれば、論理次元を変えればそれを動かしているとも見られるのだから、外生論者と内生論者は対立しているわけではないということですので、いや間接的にもコントロールできるとは言えないとおっしゃるのであれば、(賛否は別にして)私見へのご批判の論点としては成り立つと思いますが、ことこの部分の読み方としては誤解であると思います。
(なお、外生論者の貨幣供給量は時と場合によってベースマネーをイメージした方がいいことがありますので、その場合については、内生論についてはむっち提督さんのように解釈すれば、対立しないものととらえることができると思います。)
それから、拙稿のこの項の議論は、MMTについて聞きおよぶ前から、外生論と内生論の対立を見て考えてきたこと(「別に対立してねえんじゃね?」)を書いたものです。それゆえ、お読みになってわかるとおり、(MMTに焦点をあてているわけではなく)内生論者一般を主語として書いております。
このあたりの論点についてMMTが私の周囲などの内生論者とどう違うのかについては、まだよく理解できていないと思いますので、至らぬ点があればご指摘いただければありがたく思います。
レイの本の解説は、出版社の人にはMMT論者に頼んてほしいと言って逃げたのですが、認めてもらえませんでしたので、いささか困っています。いろいろご教示いただきましたら助かります。