ここは「MMT日本語リンク集」(みてねー)の番外サイト。 MMT(現代金融理論)「論」をウオッチしています。 良い紹介、よい批評を読みたいよね!
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再度確認すると、銀行の貸し出しは、預金を元手としない。反対に、貸し出しが預金を生む。
この原理は、政府の場合も同じである。
すなわち、財政赤字は、それと同額の民間貯蓄(預金)を生む。主流派経済学が考えるように、民間貯蓄が財政赤字をファイナンスしているというわけではないのだ。
すなわち、財政支出は、それと同額の民間金融資産(預金、国債、小切手など)を生む。主流派経済学が考えるとは逆に、財政支出が民間貯蓄をファイナンスしているのだ。
もう少し説明すると、こうなる。政府が赤字財政支出をするに当たって国債を発行し、その国債を銀行が購入する場合、銀行は中央銀行に設けられた準備預金を通じて買う。
この準備預金は、中央銀行が供給したものであって、銀行が集めた民間預金ではない。そして、政府が財政支出を行うと、支出額と同額の民間預金が生まれる(すなわち、貨幣供給量が増える)のである。
貨幣供給量は、量的緩和ではなく、財政赤字の拡大によって増えるのだ。
もう少し説明すると、こうなる。政府が赤字財政支出をするに当たって国債を発行し、その国債を銀行が購入する場合、銀行は中央銀行に設けられた準備預金を通じて買う。
この準備預金は、中央銀行が供給したものであって、銀行が集めた民間預金ではない。そして、政府が財政支出を行うと、支出額と同額の民間預金(と準備預金)が生れる(準備預金は補充されるのだから、民間の貨幣は、この民間預金分、すなわち財政支出の金額がそっくりそのまま増える)のである。
貨幣供給量は、量的緩和ではなく、財政赤字の拡大によって増えるのだ。
さてさて。
今回の記事、 spending first を発見した当時のモズラーの水準といっていいんじゃないでしょうか。
まあタイトルが、「MMT」を恐れてはいけない理由、ということなんだから、これでいいのかもしれないよね。
ご承知の通りMMT\は、モズラーがポストケインジアンらと出会い、JGP、SFCなどの考え方を取り入れることによって体系化されることになる。参考記事。
中野もまた、SFCの考え方を正しく受け継いでいる感じはある。
でもですよ。
金融調節や、JGP(紹介はありました)を体系に組み込んで見せたことは、たぶんまだない。
それらを欠いたままデフレ脱却論に向かうと、MMTからは離れていってしまう。
このへんの記述に危なっかしさが。
デフレ下では、企業など借り手に資金需要が乏しい。それゆえ、銀行は貸し出しを増やすことができないので、貨幣供給量は増えないのである。
銀行の貸し出しの増加が準備預金を増やすのであって、その逆ではない以上、日銀が量的緩和をやっても、銀行の貸し出しは増えない。
量的緩和に効果がないことの説明としてなら、これでいいと思う。
でもね
「デフレ下では、企業など借り手に資金需要が乏しい」というのは、MMTの言い方ではありません。
クルーグマンかよ、主流派め! 回心が足りなーい\(^o^)/
そもそも失業、貧困という遊休資源はあってはいけない。
機能的財政の考えから、そこには政府が支出をしなければならない。多くの場合デフレとは、遊休資源の存在を示している。
JGPというしくみの提案は、機能的財政からまっすぐに来ているのであって、物価対策じゃないの!
まあ、設計次第でその役割にも生かせちゃうんですけど。。。
中野の前回の記事を今見たら、JGPについてこう書いていたんですね。
さらに言えば、現代貨幣理論は、物価調整の手段として、課税以外にも、「就労保障プログラム」あるいは「最後の雇い手」と呼ばれる政策を提案している。これは、簡単に言えば、「公的部門が社会的に許容可能な最低賃金で、希望する労働者を雇用し、働く場を与える」という政策である。
なんか、ねえ\(^o^)/